ここではいままでどんなことがあったのだろう。ニセコのことをもっと深く知りたい。
そんな思いから、サイコーニセコ編集部は、ニセコで文化を築いてきたレジェンドたちを訪ねることに。
今回から3回にわたって登場するのは、ニセコのペンション文化を盛り上げた工藤達人さん。みなさんは、1980年代にニセコのペンション街で”建国”された「ポテト共和国」というミニ”独立国”を知っていますか?工藤さんは、その初代”大統領”に就任したレジェンドです。
ニセコのみならず後志のPRにも尽力したり、ニセコフットパス協会を立ちあげたり、多岐にわたって活動されている工藤さんに、さまざまなお話を伺ってきました!
初回は、工藤さんが力を注いだペンション街のPR活動、その一環である「ポテト共和国」の建国ヒストリーをお届けします。

工藤さん。取材にも快く協力いただきました
スキーヤー以外には「どこにあるの?」と言われたニセコ。
ニセコにはペンションが多く、札幌在住の編集部メンバーがニセコに滞在するときもペンションによく泊まります。でも、なぜペンションが多いのでしょうか。
「40年くらい前、日本全国にあったペンションブームが北海道にも来ていたのと、ニセコでスキー場のすぐそばなら冬にフル稼働すれば飯が食えるって言われていたからかな」
問いを投げかけてみると、そう教えてくれた工藤さん。「素人だからそれを真に受けて、札幌からこっちに来てはじめたんですけどね(笑)」と続けます。
「だけど考えてみたら、冬だけで食えるとしても、シーズンが終わって残りの半年は何もしないっていうのもおかしな話だなと思ってね。それで何かしようと思ったんですよね」
1981年にニセコに来て、〈プチペンション ドンキー〉というペンションを営んでいた工藤さん。近隣でペンションを営む人たちと有志で集まり、オールシーズン賑わう仕掛けを考えることに。
「そもそも当時のニセコって、スキーをやる人には知られていたけど、札幌でもスキーをしない人には『どこにあるの?』って言われるくらいの知名度だったんですよ」
夏にもお客さんに来てもらうためには、まずはスキーをしない人たちにもニセコを知ってもらう必要がある。そう考えた工藤さんたちは、ニセコのPR活動をはじめました。
あるのは知恵と行動力だけ。いまも色濃く記憶が残る初PR。
「よく『そんな山奥に入って夏に何するんだ』とか言われていましたよ」
PR活動をはじめた当初をそう振り返る工藤さん。それでもなんとかお客さんに来てもらえるように、とにかく考えて行動したそう。
「お金はないし、知恵と行動力しかなかったです」
そんな工藤さんたちがまずやってみたのは、「ニセコの山で採れる山菜をきれいに袋に詰めて、それを札幌で配ってPRしよう」という案でした。
工藤さんは「その日のことは忘れもしない」と言い、初めての札幌でのPRについて語ってくれました。
「大通の西4丁目で袋に詰めた山菜と手作りのチラシを配ったんだけど、たまたま同じ日の同じ時間に5丁目で富良野がラベンダーを配るって聞いて、俺たち負けたな、と思いましたよ(笑)」
「若い人たちはラベンダーのほうに集まるだろう」という工藤さんたちの予想は当たり、山菜には年配の人たちは集まってくれたものの、若い人たちはなかなか集まらなかったそう。
「せっかく用意したからやめるわけにもいかず、なんとか配りました。でも、同じ人が何回も並ぶんですよ(笑)。山菜目当てだから、よく見たらチラシはそのへんに捨てられていて…」
苦いだけの記憶になってしまうのかと思いきや、めげずに続けているとチャンスがやってきます。山菜を配りながらニセコをPRする様子を取材してくれる人たちが現れたのです。
「取材を受けていたら、次に何をすればいいかひらめいたんですよね」
その日の取材で話しながら思考が整理されたのか、工藤さんの頭の中に「ニセコでいろんな遊びを提供しよう」というアイデアが浮かびあがったそう。

ポテト共和国のオーナー達との集合写真。ポテト共和国HPより。
「ポテト共和国」が誕生。独立宣言の式典が注目を浴びる。
ひらめいた工藤さんはその後、夏は広場にたくさんのイベントを用意して「サマーフェスティバル」を、秋はとれたての農産物で料理を作って「収穫祭」を開催。
ニセコに泊まると楽しいことがある、そう思える企画をいろいろ実行しました。当時はこうした企画が珍しく、メディア関係者に案内を送ると(当時の案内は手紙!)取材に来てくれたそう。
そうするうちに少しずつ名前が知れていき、あるとき東京を拠点とする大手スキー雑誌から「ニセコのペンション街がおもしろそうだから」と取材の依頼が。
「それなら、せっかくだから何かやろうっていうことで国をつくったんです」
ペンションに泊まりに来るお客さんだけでなく、取材に来る人たちまでをも楽しませようという心意気、そして自分たちも楽しみながら次々にアイデアを実現していく行動力を感じます。
「国ですから、国旗をつくって、国歌をつくって、憲章もつくりました。町長を来賓に呼んで独立宣言の式典もやったんですよ」
こうして「ポテト共和国」が誕生。国らしくするには大統領も必要だろうと、工藤さんが初代大統領に就任。式典にはテレビやラジオの取材も入り、ニセコのペンション街で建ちあがったミニ独立国は一躍有名に。

「ポテト共和国」の独立宣言は、ニセコ町サイト内の「ニセコ町の出来事概略」にも掲載されている

かつて「ポテト共和国」で使用していたガイドMAP。スキーをするポテトのキャラクターがかわいい
メディアに出たことで注目を集め、地域に大きな経済効果を創出。どんどん知れ渡っていった結果、北海道各地に「ポテト共和国」のようなミニ独立国ができはじめたのだとか。
各地に生まれた独立国と“外交”するサミットやオリンピックも。
「ポテト共和国」に続いて国ができていく状況に、工藤さんのひらめきは留まるところを知らず、また新たなアイデアが。
「北海道に15〜16くらい国ができて、そんなに国があるならミニ独立国サミットをやろうって言ったんです」
親善大使となった工藤さんの仲間が手紙を携えて各国を回り、サミットの案内を届けたそう。当時議長だった工藤さんは電報をつくり、「真面目に“外交”をやっていた」と言います。
「その頃、井上ひさしさんの『吉里吉里人』っていう小説※に触発された傾向もあって、日本あちこちにそういう国ができていました」
※東北地方の吉里吉里村が突如「吉里吉里国」を名乗り独立を宣言するという小説。
日本各地に独立国ができ、ついには東京・八王子で独立国が集うオリンピックまで実施されたのだそう。
「いま考えたらバカみたいかもしれないけど、真面目にやっていたんですよ。僕たちもチームをつくってオリンピックに行きました」
ゼロからはじめたPR活動が、経済効果も含めてニセコという地域に好影響を与え、独立国としての“外交”も大きな発展を見せるほどに。

若者の強い思いが人々を動かし、まちに賑わいをもたらした。
それから、ニセコを含む後志全体のPRにも乗り出した工藤さん。振興局に働きかけ、後志の市町村で手を取り合ってPRしようと試みました。
「後志には海があって、山があって、川もあって、おいしい魚介も農産物もとれる。こんなに恵まれた地域性なのに、知られていないと感じていたんです」
工藤さんの働きかけをきっかけに、20市町村から110人もの若者が集結。交流を通してPR内容を考え、JR札幌駅で物産展を開催することで、多彩なおいしさに出合える後志の魅力を多くの人に伝えました。
「そういうネットワークをつくれたのは、当時の若い人は僕だけじゃなくてみんながなんとかしようっていう思いを強く持っていたからだと思います」
「なんとかしよう」「なんとかしたい」という思いを抱いたのは、自分たちが暮らすまちを愛している人たちだったから。お話を伺っていると、なんだかそんな気がします。
工藤さんの「バカみたいかもしれないけど、真面目にやっていた」という言葉が、当時の若者たちの熱意や楽しげな雰囲気を表しているようです。
ワクワクすることを、真剣にやる。工藤さんのお話からは、随所にそんな姿が思い浮かびます。自分たちが楽しんでいたからこそ、PRに触れた人々の心も動かせたのだと、そう感じました。
▼【レジェンドに訊くニセコ】工藤達人さん 全3回はこちら
vol.1 ポテト共和国篇(本記事)
vol.2 フットパス篇
vol.3 遊び篇





