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【レジェンドに訊くニセコ】星空コンシェルジュ・パルプ作家 渡辺浩樹さん vol.3

2026/08/10
WRITER
サイコーニセコ編集部
サイコーニセコ編集部
「知らなかった」「もっと知りたい」「今度行ってみよう!」そんな気持ちが芽生えるような、ニセコ町の物語をお届けします!

ここではいままでどんなことがあったのだろう。ニセコのことをもっと深く知りたい。

 

そんな思いから、サイコーニセコ編集部は、ニセコで文化を築いてきたレジェンドたちを訪ねることに。

 

前々回前回に続いて登場するのは、ニセコの星空に魅力を見出した渡辺浩樹さん。みなさんは、ニセコで星空ツアーが長く行われていることを知っていますか?渡辺さんは、その発端となったレジェンドです。

あるときは星のソムリエ®︎(準案内人®︎)や星空コンシェルジュとして、またあるときはパルプ作家〈かげぼうし〉として活動されている渡辺さんに、さまざまなお話を伺ってきました!

 

星を眺めるにしても、アートをつくるにしても、その根っこには「暮らし」があるはず。どうしてニセコにやってきたのか、どんなふうにニセコで暮らしてきたのか。最終回となる今回は、渡辺さんの暮らしにまつわるストーリーをお届けします。

 

紆余曲折、長い道のりを経てニセコでの暮らしにたどり着く。

 

「僕の履歴を話すと長いですよ(笑)。僕、いま70歳なので」

 

ニセコ出身ではない渡辺さんがニセコで暮らすに至った経緯を聞いてみると、まずはそんな答えが。伺うお話から人生の厚みを感じてはいましたが、見た目のお若さに編集部はびっくり。

 

キャリアのスタートはカメラマンだったという渡辺さん。フリーで雑誌に携わったり、事務所に勤めてクラシックバレエを撮影したり、多岐にわたる仕事をしていたそう。

 

「最初はバレエのことはよくわからなかったんだけど、今でも好きで、テレビでやっていたら見ていますよ」

 

それから車を専門に撮影する会社に入り、新車のカタログ撮影を担当していたそうですが、その頃に社長の誘いでなんと「パリ・ダカール・ラリー」に出場。


©渡辺浩樹(当時のお写真をお借りしました)

「パリ・ダカール・ラリー」とは、フランス・パリをスタートに、セネガル・ダカールを目指してアフリカを車で走破する大会で、22日間かけてゴールしたそう(なんて過酷な大会…!)。

 

※渡辺さん出場当時の大会内容。現在はスタート地点・ゴール地点が開催年により異なり、「ダカール・ラリー」の名称だけが維持されているようです。

 

こうしてカメラマン時代にも多くの経験をしてきた渡辺さん。結婚も経て、会社退職後にいよいよニセコでの暮らしがはじまりました。

 

ニセコにやってきた大きな理由は、奥さんの地元がニセコだったこと。渡辺さんが「地元愛が強い」と語る奥さんは、ニセコで長く愛されるカフェ〈グラウビュンデン〉を営んでいます。

 

「奥さんのお父さんがヒラフにスキー場をつくった人なんです。それで、ニセコのことをよく知らないのは僕だけだったので、修業しようとホテルに勤めることにしました」

 

これまでもニセコノーザンリゾート・アンヌプリに勤めていた時代のお話は出てきましたが、背景にはそんな物語があったようです。

 

ホテル時代に生まれたつながりは、いまも育まれる大切な宝物。

 

ニセコノーザンリゾート・アンヌプリは、渡辺さんが立ち上げ(当時はホテル日航アンヌプリ)から30年以上という長い年月を過ごした場所。

 

「やっぱりお客さんと関わるのが楽しかったです。ホテル時代のいちばんの宝物はリピーターさんで、いまでもお付き合いがあるんですよ」

 

ホテル時代の思い出を伺うと、そう教えてくれました。「冬だとギャラリーに来てくれたりもします」と言う渡辺さんはうれしそうで、当時のお客さんとの温かいつながりを感じました。

 

「人とのつながりっていうのは、なにごとにも共通する大事なことだと思うんですよね」

 

ホテルでのやりとりも、都会の一流ホテルが行うサービスとは違い、ニセコというリゾートに訪れる人々が求めるものを届けたい。そんな想いでお客さんを迎えていた渡辺さん。

 

これまでのお話を思い返すと、星のソムリエ®︎の資格を持つほど星に詳しくなったのも、お客さんに楽しんでもらいたいという気持ちがもとになっていました。

 

なにか行動しようと思い立つとき、その“はじまりのタネ”となるのは、人とのつながりを大切にする心なのかもしれませんね。

 

いつしかニセコがホームに。生きていることを実感できる場所。

いまではすっかり“ニセコの人”な渡辺さんですが、越してきた当初はすんなり「ニセコで暮らしている」という感覚を得られたわけではないようです。

 

「ニセコで暮らしはじめてからも、しばらくは東京に行くことを“東京に帰る”って言っていましたからね」

 

渡辺さんが「ニセコで暮らしている」と実感を抱くようになったのは、ふとしたときの自分の発言がきっかけだったそう。

 

「東京に“帰るわ”じゃなくて、東京に“行ってくるわ”って言うようになっていたんです」

 

そんな渡辺さんにとっての“サイコーニセコ”、そのひとつはここにある自然で、東京との行き来をするうちに「空の色が全然違う」と感じるようになったと言います。

 

「飛行機に乗って羽田で降りると、晴れていてもなんか空の色が違う。ニセコに帰ってくると、青空の色ってこれだよねと思うんです」

 

星空ツアーをはじめる前から、ニセコで見る星の美しさも感じていて、ホテルのお客さんを送迎するときに車を停めていっしょに眺めたこともあるのだとか。

 

「ニセコ大橋を超えてホテルに向かっていたら、フロントガラスの真ん中におっきな北斗七星が見えたんですよ。お客さんにもゆっくり見てほしくて、車を停めました」

 

自然が魅せる美しさにあふれるニセコ。春先に見える新緑の色が夏にかけて深まり、葉が大きくなり、そうすると山自体も大きく見えてくる。「その季節の移ろいがきれいなんです」と渡辺さん。

 

「四季の色がはっきりしていて、長い冬のモノクロの世界から春夏に向けて色づいていく景色を見ると、生きているなって感じます」

 

気づけばホームになっていたニセコで、季節の移ろいを肌で感じながら、目に映る景色の美しさを愛でる。このニセコという場所に、渡辺さんの暮らしが根づいていることを感じる編集部でした。

 

▼【レジェンドに訊くニセコ】渡辺浩樹さん 全3回はこちら

vol.1 星空篇

vol.2 アート篇

vol.3 暮らし篇(本記事)

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