ニセコエリアのオウンドメディアとして誕生したサイコーニセコ。このサイコーニセコはいかにして生まれたのか、また、ここからどんな未来をつくっていくのか。発起人である宮川さんへのインタビューをお届けします。
サイコーニセコはどうして生まれた 篇
サイコーニセコと考える今 篇
サイコーニセコとつくる未来 篇(本記事)
地元のパーソナリティと共に、サイコーニセコを盛り上げるラジオ番組を開設。
─人々を巻き込み、芽吹いていく。ここまでのお話から、そんなオウンドメディアをつくっていくんだという想いが感じられましたが、それを実現するためにラジオニセコとの連動も考えているんですよね?
宮川:サイコーニセコの情報を発信するラジオ番組をつくる予定で、まずはサイコーニセコに載った記事を紹介しつつ、記事の内容と掛け合いができるように町民パーソナリティの人に出演してもらえればなって思っています。
番組の中で「サイコーニセコで紹介していた場所に行ってきたよ」っていう話をしたりだとか、サイコーニセコのサイト内で受け付けているメッセージを番組でも紹介したりだとか、そういう双方向のやりとりもできたらいいなと。
近いうちに、ラジオニセコのパーソナリティが書いた記事がサイコーニセコに掲載されることもあると思います。ゆくゆくは、先にラジオ番組で話したことがのちにサイコーニセコで記事になるっていうこともあるかもしれませんね。
ラジオニセコが集めてきた地元の人々の声。そのアーカイブをきちんと残したい。
─このサイコーニセコとラジオ番組の連動もそうですし、地元の方々が出演するラジオニセコだからこそできることっていうのがたくさんあって、それが素敵だなと思います。
宮川:出演してくれた人たちの写真を局内に並べているんですけど、始めたときは1枚しかなくて、寂しい感じだったんです。でも、続けてみたらこんなに多くなりましたね。仕事していて悩んだときには、僕らもそれを見て元気をもらっています。こんなに出てくれる人がいるんだから、続けていきたいです。
─それだけの数、出演した方々がいて、写真と同じようにその声(音声)も残っているっていうことですよね?
宮川:番組で録ったものは全部とってあります。ラジオニセコの番組に出てくれたおじいちゃんが亡くなって、遺族の方から「おじいちゃんの声を聞きたい」って言われたことがあったんですよ。そういう願いに応えられるのも、声が残っているからですね。
そう考えるときちんとアーカイブを残していきたいんですけど、ラジオのパーソナリティって実はアーカイブが苦手なんですよ。いろんなものにアンテナを張って情報を仕入れて、放送でそれを出し切って、また仕入れて…。これだと情報が残っていかない。だから、サイコーニセコにはアーカイブを残す機能も担ってほしいですね。
何度も訪れるであろう“再考”のときに、しっかりと向き合えるメディアで在りたい。
─サイコーニセコのようなオウンドメディアはアーカイブが得意だから、サイコーニセコとラジオニセコで互いにないものを補い合っていけそうですね。
宮川:映像や音声も載せられるから、過去につくったラジオドラマをサイトで聞いてもらうっていうこともできますよね。たとえばニセコ駅の周りにあふれるハロウィンカボチャにまつわるエピソードをラジオドラマにしたものがあるんですけど、そういう地元の話も残していけたらいいなあって思っていたんです。
ハロウィンカボチャのラジオドラマは、カボチャを並べ始めたカボチャママといわれる方とその娘さんからお話を聞いて、脚本を書いて、放送劇団と収録して、2017年にできたものなんですね。それをまた今年の10月13日※に放送するんですけど、春にカボチャママが亡くなってしまって、ラジオドラマの放送はカボチャママに感謝を伝える企画の一つなんです。
※インタビューは2025年10月10日に実施。
今でこそ駅の周りにカボチャがあるのは当たり前になっていますけど、そうじゃなかった過去の話もこのドラマには含まれていて。その過去を知らない人たちに知ってもらうこともできますし、これから何十年と経って将来もしカボチャが並ばなくなるときが来たとしても、このドラマを聞けばカボチャが並んでいたことを知ってもらえますし。
5年10年と経つうちに価値観が変わるかもしれない。でも、こうやって残ったドラマを聞けば過去を知ることができて、もう一度考え直すことができる。そういう機会をつくるのも、サイコーニセコの役割なんじゃないかなって。これからサイコーニセコに日々アップしていく情報も、年を経れば古いものにはなっていくと思いますけど、将来その情報から改めて考える人が出てきてほしいです。
「サイコーニセコ」には“再考”の意味がある、今はニセコを改めて考えるとき、っていう話をしましたけど、それって今だけじゃなくて、改めて考えるべきタイミングってまた来ると思うんです。そのときが来るたびに“最高”を“再考”して“再興”していく、そういうサイコーニセコで在りたいですね。





